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大阪地方裁判所 昭和32年(ヨ)3847号 判決

申請人 中村トメノ 外三名

被申請人 山口織布株式会社

主文

申請人等の本件申請を却下する。

訴訟費用は申請人等の負担とする。

事実

第一、申請人等の主張

申請人等訴訟代理人は「被申請人は申請人等をその従業員として取り扱い、かつ申請人中村トメノに対し昭和三十二年十二月十二日以降一ケ月金五千七百五十四円、申請人中谷年子に対し同月十一日以降一ケ月金一万五百五十七円、申請人鳥居真次に対し同月十二日以降一ケ月金一万五十九円、申請人黒川茂に対し同日以降一ケ月金一万四千五十九円の各割合による金員を毎月末日限り支払わなければならない訴訟費用は被申請人の負担とする」旨の判決を求め、その理由として、

一、被申請人会社(以下単に会社という)は肩書地に工場を有し従業員九十数名を擁して紡績加工を業とする株式会社であり、申請人等はいずれも会社の従業員であつて、申請人中村は仕上場、申請人中谷は機場、申請人鳥居同黒川はボイラー室に勤務し、昭和三十二年十二月現在一ケ月の平均賃金として毎月末日限り、申請人中村は金五千七百五十四円、申請人中谷は金一万五百五十七円、申請人鳥居は金一万五十九円、申請人黒川は金一万四千五十九円の賃金の支払を受けていたものである。

二、しかるところ、会社は昭和三十二年十二月十日申請人中谷に対し、「同日無断欠勤した」として同日限り、また同月十一日、申請人中村に対し、「風邪で同月九日より一週間の予定で欠勤した」として、申請人黒川、同鳥居に対し「ボイラーを石炭から重油に切替えるので剰員になつた」として、いずれも同日限り、それぞれ申請人等を解雇する旨通告した。

三、しかしながら、申請人等に対する本件解雇はいずれも次の諸理由により無効である。

(一)  本件解雇は、申請人等の労働組合結成活動を理由とするものであるから、労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為として無効である。

1、会社における従来の労働条件

会社の従業員約九十名(内女子六十余名)は(イ)経通し、管場(管捲き)(ロ)織布(機場)(ハ)サイジング(糊つけ、荒捲き)、仕上場ボイラーの三部門にわかれ、三名の現場責任者の指揮監督のもとに労働に従事しているが、その労働時間は管場、機場、荒捲きでは午前四時から午後二時までの組(拘束十時間)午後二時から同十二時までの組(拘束十時間)の二交替の外、昼専と称する毎日午前六時から午後七時三十分までの組(拘束十三時間三十分)があり、これは更に土曜日に午前六時から午後十二時まで(拘束実に十八時間)(延長されるというように、全く労働基準法を無視した長時間労働が強要されており、これに対して賃金は固定給が殆んどなく歩合請負給が殆んどで、それも極端な低賃金に押えられ、更に女子従業員が寄宿している寮舎には風呂場が半坪しかなく蒸気の生鉄管が通つているという危険状態にあり、その上寮生の外出や寮生への面会すらも制限し全く人権を無視する状態であつた。

2、申請人等の組合結成活動とこれに対する会社の抑圧、

(イ) 申請人中村はかねてより組合活動家を知人に有しておりかような劣悪な労働条件を向上改善するためには労働組合の結成以外にないと考え、昭和三十二年十一月十日頃、申請人中谷、同鳥居、同黒川に組合の結成を提唱し、申請人等四名が他の従業員に連絡をとつて同月十六日、岸和田市内において十名の従業員が参集し、申請人等四名が中心となつて組合結成準備にあたり、同月二十四日に結成大会を開催する予定でそれまでに従業員に対し組合加入署名運動を行うことを決定した。そして更に同月十九日、右同所で約二十名の従業員が参集し、会社に対する要求事項として、越年資金一・五ないし二ケ月分支給、賃金体系の改訂(固定給の増額)、寮風呂場の拡張改善、寮生のためのミシンの設置等を決定し、同日以降現実に組合加入の署名を集めはじめ、同月二十一日までに五十四名の署名を獲得した。

(ロ) ところが、はやくもこれを察知した会社は、右署名運動並びに組合結成活動を阻止するため、はげしい妨害運動を始めた。すなわち同月二十一日頃、右署名運動を知つた立石機場責任者、木村同補助者、吉田仕上場責任者の三名は直ちに会社事務所において専務とこれが妨害対策を協議し、翌二十二日午後八時頃右三名は、夜勤者に対し組合を結成しないよう説得し、専務、工場長は申請人黒川を事務所に呼んで「組合ができたら第一紡績株式会社が下請を締め出すといつている」と告げて組合の結成を阻止しようとした。そして翌二十三日申請人黒川が署名簿を専務に提出するや、専務は前記三名をして従業員を参集させて「組合をつくつたら会社がつぶれる。会社は第一紡績株式会社から糸をもらつての下請だから下請をとめられる」などと宣伝させ、更に各職場を廻つて従業員一人一人に「組合をつくるな」と告げさせ、また在寮中の非番者に対しては専務、工場長が直接に赴いて「署名簿に絶対判を押すな。組合をつくつたら会社がつぶれる」といつて組合の結成を妨害する一方、専務自ら或は前記三名をして「親睦会をつくれば組合の要求ぐらいはできる」などと宣伝させ、遂に同日会社は全従業員を集めて親睦会を結成し、組合結成運動を圧殺してしまつた。

(ハ) かくして結成された親睦会は、会長に前記の妨害工作に功のあつた木村が就任した外、責任者級に会社幹部が就任し、また会計を会社事務員が担当するというように完全に会社の自由のままになる組織であつた。その後右親睦会は労働組合に改組されたが、これは申請人等が本件解雇後、解雇を撤回さすべく、総評大阪地評泉州地区協議会幹部らと連絡をとりつつ、昭和三十三年一月十二日、申請人等四名と他の従業員数名とで労働組合を結成し、右地区協議会議長、事務局長が右組合の結成と本件解雇問題について会社に会見を申込んだところ、会社は二、三日後に交渉に応ずる旨回答しながら、その間に全繊同盟に連絡した上、右親睦会を急拠労働組合に改組させて全繊同盟に加盟させ、労働協約も殆んどその日のうちに締結したのである。

3、申請人等に対する本件解雇には何ら解雇理由が存在しない。会社は右組合結成活動の中心となつた申請人等を解雇しようと機会を待つていたところ、昭和三十二年十二月十日、申請人中谷が一日風邪で欠勤したのを奇貨として、寮より呼び出した上、専務より同申請人に対し「お前は一日無断欠勤した。それにお前はごちやごちや組合をつくるようなことをしたから今日限りやめてもらう」と解雇を通告し、同月十一日、申請人中村が同月九日より風邪による一週間の病欠届を提出してあつたのに、寮より呼び出した上、専務より同申請人に対し「一週間も休むものはやめてもらう。お前はごちやごちや組合をつくるようなことをしたから」と解雇を通告し、更に同日勤務中の申請人黒川と非番中の申請人鳥居を呼び出した上、工場長より同申請人等に対し「ボイラーを重油に切替えるからやめてくれ」と解雇を通告した。しかしながら、申請人中谷は当日格段の書面による届出はしていないが、従来より寮生の場合には口頭で現場へ届けるだけで欠勤できたので、同申請人もその届はしてあつたのであり、申請人中村は同月九日診断書を提出して病欠中であつたものであり、申請人鳥居、同黒川にしても、翌日からボイラーは石炭から重油に代つていないし、申請人黒川は二級汽罐士の資格を有するのに汽罐士の資格のない従業員二名がそれを担当しているのであつて、申請人等には全く解雇理由のないことが明らかである。

以上1、ないし3、の事実に徴すると、申請人等に対する本件解雇は、会社が申請人等の組合結成活動を嫌悪する余り、その活動を圧殺することで足らず、なお申請人等をその故に解雇したものであつて、労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為として無効である。

(二)  本件解雇は、前記の如く全く解雇理由なくしてなされたものであるから、解雇権の濫用であつて無効である。

四、以上のとおり、本件解雇は無効であるから、申請人等は依然として会社の従業員たる地位を有し、解雇日以後申請の趣旨記載のとおり賃金請求権を有するので、申請人等は被申請人に対し本解雇無効確認並びに右賃金請求の本案訴訟を提起すべく準備中であるが、申請人等はいずれも賃金を以て唯一の収入の資としている労働者であつて、右本案判決を待つていては回復することのできない損害を蒙る虞があるので、右の損害を避けるため、本件申請に及んだ次第である。

と述べ、被申請人の主張に対し

五、会社の主張する人員整理の必要の存在並びに申請人等の就業規則該当の解雇事由の存在はいずれも否認する。操業短縮に伴う人員整理であるならば、通常その整理人員及び整理方法について従業員にはかつて希望退職を募り予定人員に満たぬ場合、一時帰休ないし退職を勧告するのが例であるのに、会社においては、本件解雇に至るまで人員整理の必要を通告したことも希望退職を募つたこともなく、また人員整理のためであるならば、各職場別に必要人員が割り出されるはずであるのに、申請人等四名を狙つて解雇したのであるから、本件解雇が人員整理のためというのは後日に至つての口実にすぎないことが明らかである。また申請人中村、同中谷は濫りに自己の職場を離れたことはなく、ただ長時間労働を強いられて強度の疲労を覚えたような折など仕事の手のあくのを待つて休憩をとることはあつたが、これはひとり同申請人等に限らず一般に従業員のしていることであつて、会社の労働基準法違反の強制長時間労働に対し休養をとるための当然のことであり、また同申請人等の技術、能率も普通程度で著しく低劣ということはない。さらに申請人中村の経歴詐称の点についても、同申請人が申請外森田織布株式会社に在籍していたこと及び一度解雇されたことはあるが、これも組合の働きで復職していたもので解雇されたものではないから重要な経歴とはいえず、申請人鳥居、同黒川についても、ボイラーを石炭から重油に切替えたのは昭和三十二年十二月下旬であつて、本件解雇当時は従来のままであつたし、また切替後においても、正規の汽罐士である同申請人等を解雇して態々他の職場の人員を代置する必要はなかつたのであるから、剰員になつたとはいえず、従つて申請人等には就業規則該当の解雇事由はない。のみならず会社の就業規則は全く従業員に周知させまたは周知させ得る状態におかれていないから就業規則自体すでに無効である。

六、本件解雇について申請人等が退社届を提出し、解雇予告手当、退職金並びに帰郷旅費を受領したことは認めるが、解雇が無効である以上、解雇の承認とは無効行為を承認することであつて法律上無意味な概念であるのみならず、右退社届は会社が申請人等をして強制的に提出させたものであり、解雇予告手当の支給は労働基準法で定められた解雇の要件であるから、これが提供ないし受領は解雇の形式的要件にすぎず(任意退職ならば解雇予告手当の支給は必要でない)、また退職金にしても、解雇と任意退職とでその額を異にする場合ならば格別そうでなければ解雇が無効となつた際、不当利得として、当然賃金に充当されるものと考えれば十分であり、また申請人等が村上輝雄を通じて帰郷旅費を受領したのは、申請人等が同人に対し解雇無効、復職の交渉を委任して会社と交渉にあたらしめたのに、交渉中同人が勝手に代理権を踰越して会社より帰郷旅費を受領したためであるから、申請人等が退社届を提出し、解雇予告手当、退職金並びに帰郷旅費を受領したことによつて、会社による労働契約の一方的解除である本件解雇が、会社より申請人等に対する労働契約の合意解約の申入に変ずる余地はない。

と述べ、なお

七、かりに、本件解雇通告が会社より申請人等に対する労働契約の合意解約の申入たる性格を有するとしても、本件合意解約は、次の諸理由により無効である。

(一)  本件合意解約の申入は、その申入自体前記のとおり不当労働行為として無効である以上、これに対する申請人等の退社届の提出による承諾の有効無効に拘らず、本件合意解約は無効である。

(二)  本件合意解約の申入が有効であるとしても、申請人等の退社届は申請人等が真実任意退職する意思で提出したものではなく、申請人等は突然会社事務所に呼び出され、会社重役の前で会社の用意した退社届の用紙に署名押印せよと迫られ、その法的効果を判断する余裕もなく、署名押印したもので、申請人等は全く任意退職の意思を有していなかつたものであり、かつ会社もそれを知りまたは知りうべかりし事情にあつたのであるから、申請人等の退社届の提出による承諾の意思表示は、非真意表示として無効であり、従つて本件合意解約は無効である。

(三)  かりに、右非真意表示の主張が理由がないとしても、申請人等の退社届は前記のような事情のもとで会社の強迫によつて提出されたものであるから、申請人等は本件申請において、右退社届の提出による承諾の意思表示を取消す。従つて本件合意解約は無効である。

(四)  さらに本件合意解約の申入が有効であり、かつ申請人等が村上輝雄を通じて右承諾の意思表示をなしたものとしても、右承諾の意思表示は、村上輝雄が会社と通謀して、申請人等に対し、原職復帰は駄目だから金で解決しなければならないと申し向けて、なさしめたもので、村上輝雄が会社と通謀してなさしめた不当労働行為として無効であり、従つて本件合意解約は無効である。

と述べた。

第二、被申請人の主張

被申請人訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、

一、申請人主張の一、記載の事実中、会社の従業員数を除くその余の事実、同二、記載の事実中、申請人中村同中谷に対する解雇理由を除くその余の事実はこれを認めるが、申請人等主張のその余の事実は否認する。

二、本件解雇は次に述べるような理由に基くものであるから有効である。

会社は綿スフ業界の不況を克服しその安定をはかるため、昭和三十二年十一月二十日、日本綿スフ織物調整組合連合会から二割操業短縮を行うよう通告を受けたためと、石炭値上りによる経費節減上従来石炭使用中のボイラーを重油設備に切替えることとなつたため、従業員について、人員整理の必要に迫られ、その対象として、長期欠勤者と平素の成績不良者を解雇する方針を決定したところ

1、申請人中村は昭和三十二年五月二十日申請人中谷を介して田舎から出て来て織布関係は全く未経験者であるというので試工員として採用したところ、後日に至り、申請外森田織布株式会社を解雇されていたのに拘らず、経歴を詐称して入社したことが判明した外、その後の勤務成績についても、仕上げに使用する水を汲みに行く際には必ず他の工員を誘い、仕上げ机では他の工員の反対側から作業をして他人の作業を妨害し或はほしいままに定位置を離れて雑談に耽り、現場責任者の注意にも耳を藉さない等作業態度は非常に悪く、従つて作上能率も仕上工八名中最下位で能率増進に対する会社の持示(能率記入法)に他の工員が従つていてもこれに従わず眼に余る所業枚挙に遑がない有様であつた。しかも昭和三十二年十二月九日より風邪と称して欠勤していたが、当時会社の嘱託医の応診を受けず、かえつて同月十一日朝から申請人中谷とうちそろつて外出しようとする際、その容態を尋ね全快していないなら健康保険上での継続療養手当を取るよう勧めたところ、全快したと称してこれを断り、同夜は門限時間にも帰らず、翌朝午前二時五十五分寄宿舎に帰り忘年会に出席した旨申し述べていることよりして風邪であつたかどうかも疑わしい状態であつた。

2、申請人中谷は昭和三十二年七月中旬から同年十月二十日まで織布中廻り工として勤務中、夜勤の際は定位置におらず暗い仕上場の製品の間に寝たりして織布工に迷惑を及ぼしたことがしばしばあり、また執務時間中ほしいままに他の従業員の許に赴き雑談に耽る等の行為があつて、遂に織布工から同申請人の中廻り工変更の要求がでて、織布工に配置替えしたところ、その後も勤務中申請人中村の許に赴き雑談したり、管場内で仮睡したり、みだりに職場を離れて寮に戻る等してしばしば注意を受けており、また同年十一月以降本件解雇までの間に早退及び欠勤各九回、内無届欠勤二回という不成績であつた。

3、申請人鳥居、同黒川は右両名と異り勤務成績において普通であつたが、石炭値上りによる経費節減上、昭和三十二年九月末頃、ボイラー設備の近代化を企画し、石炭から重油設備に転換することとなつたところ、従来石炭使用中は、ボイラー取扱には一級汽罐士の免状を必要とするため、申請外中島安雄(一級汽罐士)を専任とし、同申請人等はその助手として勤務していたが、右設備切替の結果、過剰人員となり、これが整理を推知してか、同申請人等はいずれも他会社に職を求めに行つており、会社においても、右の解雇事情を述べたところ、同申請人等もよくこれを了解し、今後良い勤め先があれば世話して欲しい旨述べていた程であつた。

以上のとおり、申請人中村の経歴詐称の所為は、会社の就業規則第八十三条第三号の懲戒事由たる「氏名重要な経歴を詐りその他不正手段を用いて採用された者」に、申請人中村のその余の所為並びに申請人中谷の前記所為は同規則第三十八条第五号の禁止規定たる「所属上長の許可を受けないで濫りに自己の職場を離れまたは他人の職場に立入ること」同規則第八十二条第三号の懲戒事由たる「勤務時間中濫りに自己の職場を離れ或は他の者の勤務を妨害する者」に該当するので、申請人中村、同中谷に対しては、これらの点を考慮に入れて、同規則第九十二条第二号の「技術または能率が著しく低劣のため就業に適しないと認められる時」同条第三号の「事業の縮少または設備の著しい変更によつて剰員となつた時」の解雇規定を適用し、申請人鳥居、同黒川に対しては、前記事由により、右第九十二条第三号の解雇規定を適用してそれぞれ解雇したものであつて、申請人等の組合結成を妨害したり或はこれを圧殺するために解雇したものではないから(会社が労働組合の結成を拒否し抑圧する意図のなかつたことは申請人等の本件解雇後結成された山口織布労働組合(全繊同盟加盟)と労働協約を締結し、これが結成に何ら妨害支障を与えていないことによつて明らかである)本件解雇は有効である。

三、かりに申請人等に対する本件解雇が無効であるとしても、申請人中村、同鳥居、同黒川はいずれも昭和三十二年十二月十一日附、申請人中谷は同月十日附を以てその自由意思に基き署名押印の上、会社に対し自ら退社届を提出し、即日十二月分給料及び解雇予告手当として、申請人中村は金千二百五十円及び金五千七百五十四円、申請人中谷は金二千七十九円及び金一万五百五十円、申請人鳥居は金七千八百六十一円及び金一万五十九円、申請人黒川は金七千九十二円及び金一万四千四十九円をそれぞれ会社より何らの異議なく受領し、その後同月十二日、日本社会党岸和田支部青年部長、全繊同盟組織部員、東洋帆布労働組合法政部長である申請外村上輝雄を代理人として、帰郷旅費を含め寸志名下に会社に出捐方を希望してきたのに対し、会社は申請人中村、同中谷の寄宿舎の早期明渡を要求したところ、村上輝雄はこれを快諾したので、即日同人に対し、申請人中村、同中谷には帰郷旅費を含め金二千五百円宛、申請人鳥居、同黒川には金三千円宛を退職金として交付したところ、申請人等は異議なくこれを受領して円満裡に本件解雇を承認した。

四、以上の次第であつて、申請人等に対して本件解雇は有効であるのみならず、かりに無効であるとしても、申請人等はいずれも円満裡に本件解雇を承認、解決済みであるから、申請人等の本件仮処分申請は失当である。

と述べた。

第三、疎明関係〈省略〉

理由

一、解雇通告

会社は肩書地に工場を有して紡績加工を業とする株式会社であり、申請人等はいずれも会社の従業員であつて、申請人中村は仕上場、申請人中谷は機場、申請人鳥居、同黒川はボイラー室に勤務していたものであるが、会社は昭和三十二年十二月十日申請人中谷に対し同月十一日申請人中村、同鳥居、同黒川に対し、それぞれ申請人等を解雇する旨の通告をなしたことは当事者間に争がない。

二、解雇の効力

申請人等は本件解雇は申請人等の組合結成活動を理由とする不当労働行為であるから無効であると主張するのに対し、被申請人は、操業短縮並びに設備切替に伴う整理解雇であつて有効であると主張するので、以下双方の主張を対比しながら、本件解雇の効力について検討することとする。

(一)  申請人中村トメノ本人訊問の結果により成立を認める甲第一号証、申請人中谷年子本人訊問の結果により成立を認める甲第二号証、申請人鳥居真次本人訊問の結果により成立を認める甲第四号証、申請人黒川茂本人訊問の結果により成立を認める甲第五号証に証人寺村克己、同安部美智子の各証言、証人吉田三郎、同木村熊彦、同山口俊一の各証言(後記信用しない部分を除く)並びに申請人等本人訊問の結果を綜合すると、次の事実が疎明せられる。

1、会社の従業員約八十名(内女子従業員は約七十名で、そのうち約六十名が会社の寮に寄宿している)は、管場、機場、仕上場、糊つけ場(ボイラー室を含む)の四部門にわかれ、その労働時間は午前四時から午後二時までの組と午後二時から午後十二時までの組の二交替制の外、毎日午前六時から午後七時三十分までの組があつて、これが土曜日には午後十二時まで延長されるというような長時間労働にありながら、賃金は大部分が歩合制で固定給が少くしかも低賃金に抑えられていた外、女子従業員が寄宿している寮舎には風呂場が半坪しかなくその他の設備もよくなかつたため、従来より従業員の間に組合結成の動きがあつたが、その中心人物が解雇されたり退職したりしたため、組合の結成を見るに至らなかつた。

2、申請人中村は昭和三十二年五月入社後間もなく、右のような労働条件を改善するため、労働組合の必要を痛感し、同年十月頃、かねてより交流のあつた文化自動車労働組合幹部を通じて、組合関係の仕事をしている申請外寺村克己より労働組合の結成方法を教わり、同年十一月十日、申請人中谷、同鳥居、同黒川に組合の結成を提唱し、申請人等四名が他の従業員に連絡をとつて結成準備にあたり、同月十六日岸和田市内の文化自動車労働組合執行委員柏木某宅で申請人等外数名の従業員が会合し、同月二十四日に結成大会を開催することを決定し、更に同月十九日、同所で申請人等を含め約二十名の従業員が参集し、会社に対する要求事項として、年末手当支給、賃金引上げ、賃金体系の改訂、寮風呂場の拡張改善等を決定し、同月二十四日の結成大会までに従業員に対し組合加入の署名運動を行うことを決めて、同日以降申請人等が中心となつて組合加入の署名運動をはじめ、同月二十一日までに五十四名の署名を獲得した。

3、ところが、同月二十二日、右署名運動並びに組合結成の動きを察知した会社は、職制修理工吉田三郎、木村熊彦等をして、従業員一人一人に対し或は職場毎に従業員を集めさせて「組合をつくつたら会社がつぶれる」等と宣伝させ、また従業員を食堂に集めて専務取締役山口俊一より「組合をつくつたら会社がつぶれる。第一紡績株式会社は煙突があつて組合のない工場がよいといつているように、会社に組合ができたら、第一紡績株式会社は下請をさせてくれない」等といつて組合を結成しないよう説得し、更に山口専務、工場長黒崎繁男自ら寮に赴き、従業員一人一人に組合加入の署名をしないようにいつてまわり、組合結成の中心となつて動いた申請人四名を一人一人事務所に呼び出した上、山口専務、黒崎工場長より、申請人中村、同中谷に対しては「組合をつくると仕事がなくなり会社がつぶれる。貧乏な会社に雇われたと思つて諦めてくれ。」申請人鳥居に対しては「お前のところはこの村内である上、お前の両親達も以前から知つているのに組合なんどどうしてつくろうとしたんや。うちは第一紡からの下請をしているのに組合をつくつたら工場がつぶれてしまう。お前一生うちで働く気はないのか。」申請人黒川に対しては「今会社は第一紡の賃織をさせてもらつておるから、もし会社に労働組合が結成されたことを第一紡が知つたら仕事をさせてくれなくなる。そうなれば会社がつぶれるのは火を見るよりも明らかだ。だから労働組合だけはつくつてくれるな」等といつて申請人等の組合結成活動を妨害する一方、翌二十三日、前記吉田、木村をして、全従業員を集めさせ「組合の要求するぐらいのことなら親睦会でもできる。組合に入ると組合費が高く上部団体にも金を納めなければならないから、親睦会で色々と問題を解決しよう。組合をつくつて首になるより親睦会の方が得だ」等と宣伝させ、ついに全従業員の参加する親睦会を結成させて、前記木村が自らその会長となり、申請人等の右組合結成活動を圧殺してしまつた。

証人吉田三郎、同木村熊彦、同山口俊一の証言のうち、右一応の認識に反する部分はにわかに信用し難く、他に右認定を覆すに足りる疎明はない。

以上の事実に徴すると、申請人等は終始最も熱心に組合の結成を推進してきたものであること、組合結成における申請人等の右のような役割を会社において十分認識していたことがうかがわれるのであつて、以上の事実を考慮に入れつつ、以下会社の主張する整理解雇の事由を検討した上、本件解雇の効力について判断する。

(二)  証人山口俊一の証言により成立を認める乙第一号証、同第二号証、同第十号証に同証人の証言を綜合すると、会社は昭和三十二年九月従来石炭使用中のボイラーを重油設備に切替える計画をたてたこと、同年十一月日本綿スフ織物調整組合連合会から綿スフ業界の不況を克服しその安定をはかるため同年十二月以降二割操業短縮を行うよう勧告をうけたこと、昭和二十九年九月一日作成せられ現にその効力を有する会社の就業規則(申請人等主張のように就業規則の周知方法が不十分であつても、会社が就業規則による解雇事由の自己限定を主張することの支障にはならない。)には、その第九十二条第二号に「技術または能率が著しく低劣のため就業に適しないと認められる時」同条第三号に「事業の縮少または設備の著しい変更によつて剰員となつた時」との条項が定められ、右の場合には解雇する旨の規定があることがそれぞれ疎明せられ、一方前記甲第二号証、成立に争のない甲第三号証の一、二、同乙第十二号証の一、二に証人吉田三郎、同木村熊彦、同山口俊一の各証言並びに申請人等本人訊問の結果を綜合すると、次の事実が疎明せられる。

1、申請人中村は昭和三十二年五月入社以来、仕上工として勤務していたが、勤務中仕上げに使用する水を汲みに行く際に他の工員を誘つたり、仕上げ机で他の工員の反対側から作業して雑談したり、或は会社の能率表記入の指示に他の工員が従つているのに拘らずこれに従わなかつたりして会社より注意を受けたことがあつて、その作業態度において多少の欠点はあつたが、他の工員に比較して特に勤務成績が劣つていたわけではなかつた。なお同申請人は昭和二十七年より昭和三十年まで申請外森田紡績株式会社に勤務していたことがあるのに拘らず、無経験者として入社したのであるが、入社の際右の事実を会社に告げなかつたのは会社が同申請人に履歴書の提出を求めずその経歴について立入つた質問がなかつたためで、同申請人としても別に悪意はなかつた。

2、申請人中谷は昭和三十一年八月入社以来、織布工として勤務していたが、昭和三十二年五月織布中廻り工に配置換になつて間もなく盲腸炎を患つたため、勤務中再三仕上場や管場に行つて無断仮眠し、そのため織布工より同申請人の中廻り工変更の要求がでて、同年十月再び織布工に配置換になつたが、その後も勤務中無断で職場を離れて寮に帰つたりして会社より注意されたことがあり、また同年十一月二十一日より本件解雇までの間、欠勤九回早退三回に及びその作業態度は必ずしも良好ではなかつたが、これは同申請人が盲腸炎を患いながら人手が足りないため無理に仕事をさせられたり、流行性感冒にかかつたりしたためで、同申請人は他の工員に比較して技術、能率の点においてはむしろ優れていて織布工中最高の給料をもらつていた。

3、申請人鳥居は昭和三十一年十二月汽罐士の免状を有しないため汽罐士助手として、申請人黒川は昭和三十二年一月二級汽罐土免状を有するため汽罐士としてそれぞれ入社しボイラー室に勤務していたが、ボイラーには法規上汽罐取扱主任者を必要としたため、会社は申請外関繁織布株式会社の汽罐取扱主任者中島某を名目上会社の汽罐取扱主任者として汽罐検査のときだけ立会わせ、ボイラーは申請人鳥居、同黒川の両名のみに昼夜交替で取扱わせていた。

そして会社が操業短縮に伴う人員整理について、その整理人員及び整理方法等を定めこれを従業員にはかつたこと、申請人中村、同中谷の勤務成績を他の従業員の成績と比較して検討してみたことについてはこれをうかがうに足りる明確な疎明はなく、かえつて前記認定のように申請人中村、同中谷の勤務成績が他の従業員に比較して特に劣つていたわけではなかつた事実、会社のボイラーは申請人鳥居、同黒川が交替で常時一名づつ取扱つていた事実、前記甲第四号証と申請人黒川茂本人の供述によつてうかがわれるようにボイラーを石炭から重油に切替えても、投炭作業が省けるだけで、石炭より重油の方が強くて危険性が高いため、少くとも常時一名の汽罐士が必要である事実、会社がボイラーを石炭から重油に切替えたのは昭和三十三年一月三日であつて、本件解雇後それまでは糊つけ工、または車の運転手などにボイラーを取扱わせていた事実並びに証人山口俊一の証言によつてうかがわれるように申請人等に対する本件解雇以外に他の従業員について整理解雇が行われなかつた事実を綜合すると、申請人等が会社の主張する就業規則第九十二条第二号第三条の解雇規準に該当するかどうかは極めて疑わしく、従つて申請人等に対する本件解雇が真に設備切替或は操業短縮に伴う整理解雇として行われたものと断定することはできないものといわなければならない。

以上のとおり、組合の結成を推進してきた申請人等の役割とこれに対する会社側の認識、会社主張の申請人等に対する解雇理由の不明確、並びに前記甲第二号証と申請人中村トメノ、同中谷年子各本人の供述によつてうかがわれる昭和三十二年十二月十日山口専務が申請人中谷に対し「お前は一日無断欠勤した。それにお前はごしやごしや組合運動をやつたやないか。そんなやつはこれからどしどし首にして行く。」翌十一日申請人中村に対し「今の不景気にお前みたいに一週間も診断書を出して休むやつはやめてもらう。組合をつくつたりすると嫁に行くところがないぞ」といつて解雇を通告した事実に徴すると、申請人等に対する本件解雇は、設備切替並びに操業短縮に伴う整理解雇というよりはむしろ申請人等が労働組合を結成しようとしたことを理由としてなされたものと認めるのが相当である。

そうすると、申請人等に対する本件解雇はいずれも労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為として無効であるといわなければならない。

三、解雇の承認

被申請人は、かりに申請人等に対する本件解雇が無効であるとしても、申請人中村、同鳥居、同黒川はいずれも昭和三十二年十二月十一日附、申請人中谷は同月十日附を以て自ら退社届を提出し、即日十二月分給料及び解雇予告手当を受領し、その後同月十二日村上輝雄を通じて帰郷旅費並びに退職金を受領して本件解雇を承認し、円満裡に解決済みである旨主張するので以下この点について検討するに、申請人等がいずれも会社に対し、退社届を提出し会社より解雇予告手当、帰郷旅費並びに退職金を受領したことは当事者間に争なく、前記甲第一号証人、証人村上輝雄の証言により成立を認める乙第七号証に証人村上輝雄、同山口俊一の各証言及び申請人等本人訊問の結果(後記信用しない部分を除く)を綜合すると、申請人等はいずれも本件解雇通告を受けるや、本件解雇は申請人等の組合結成を理由とする不当解雇であるとして、職場へ復帰するため最後まで会社と交渉することを申し合わせ、申請人中村、同中谷は直ちに岸和田地区労働組合協議会(東洋帆布労働組合に事務局をおき、岸和田地区内の総評、全労系いずれの申立を問わず、労働者の共通の問題をそれぞれの立場から協力し合つて解決をつけるための組織体で、以上単に地労協という)に赴き、本件解雇問題について相談したところ、地労協としても、右解雇は不当労働行為の疑があるとして、申請人等のために会社と交渉してくれることとなつたので、同月十二日、申請人等は地労協より派遣された同事務局員で東洋帆布労働組合執行委員並びに全繊同盟大阪支部組織部員である申請外村山輝雄と共に会社に赴いたところ、会社は申請人等との面談を拒否したので、申請人等は右村上に原職復帰についての交渉を委任し、同日午前九時頃より午後五時近くまで、会社の山口専務と直接交渉してもらつたが、会社は申請人中村、中谷については勤務成績の不良を、また同鳥居、黒川についてはボイラー設備の変更による人員の過剰を理由に解雇の正当を主張し、申請人等の主張と対立していたので、村上は右対立はさておき、ともかく申請人等の原職復帰を会社に強く要求したのにかかわらず、会社は頑として応じないため、止むなく右村上より申請人等に対し会社の右意向を伝えたところ、申請人等も「一旦退社届を出したことでもあり、他の工員ともうまくいつていないので会社に戻つても仕事を続けてゆく自信がない。退職金を多くとつてほしい」といつて、原職復帰をあきらめたので、右村上において更に会社と退職金の支払について交渉したところ、会社は当初退職金の支払をも全く拒否していたが、右村上の再三に亘る交渉の結果、最後に申請人中村、同中谷に対しては帰郷旅費を含めて金二千五百円宛、申請人鳥居、同黒川に対しては金三千円宛の退職金を支出することになつたので、申請人等も右の額で納得し「とれないかもわからなかつた退職金がとれたのであるからこの額で結構です」といつて、右退職金を受領し会社との交渉を打ち切つたことが疎明せられる。証人藤本克己の証言及び申請人等本人の供述のうち、右一応の認定に反する部分はにわかに信用し難く、他に右認定を覆すに足りる疎明はない。

以上の事実に徴すると、申請人等が真に任意退職の意思で退社届を提出したものであるかどうか或は会社が申請人等を強迫して退社届を提出させたものであるかどうかに拘らず、申請人等が村上輝雄に委任して会社と本件解雇問題について交渉した昭和三十二年十二月十二日双方間に和解が成立し、申請人等において退職金を受領する代りに解雇の効力を認めて紛争を解決し、その結果、申請人等と会社との間の雇用関係の終了が確定せられたものと認めるのが相当である。

もつとも、この点につき申請人等は、村上輝雄に委任したのは、原職復帰の交渉のみであつて、右の如き和解契約の締結は代理権踰越の行為であるかの如く主張するのであるが、その然らざることは前認定のとおりであつて、これを覆し、右主張を疎明しうるに足りる資料はない。

四、和解の効力

(一)  申請人等は、右和解も亦不当労働行為として無効であるかのように主張するので、その当否を判断する。

労働組合法第七条第一号は、使用者が労働者の正当な組合活動を理由として労働者を解雇しまたは労働者に対して不利益な取扱をなすことを禁ずるものであるから、解雇その他の不利益な取扱が使用者の一方的な行為によつて生じた場合に限らず、使用者と労働者との合意によつて解雇その他の不利益な取扱と同様の結果が生じた場合にも、同号に該当しかかる合意を無効と解するのが相当である場合もあるけれども、そのためには、使用者のはたらきかけ、その他の強い影響の下に、使用者の不当労働行為という不法な意図の実現が合意の目的とせられているか、または使用者の表示する不当労働行為の意図に労働者が盲従しその実現に寄与する事例の如く、労使双方の事情よりして使用者が合意の形式を利用して不当労働行為意思を実現したものと評価され、その合意全体が不当労働行為の色彩を帯びる場合であることが必要であり、単に、使用者の一方の意思表示が右の動機に出たというだけでは足りないのは勿論(この点は、一般に契約当事者の一方の不法な動機のため契約が無効とされるのは、右動機が表示されて、契約の内容となつた場合に限られるものと解されていることからも首肯できる。)労働者が右動機を察知していても、これとは別個の動機から自主的に意思表示をする場合も亦、不当労働行為に該当するものとはいい難い。けだし、不当労働行為制度は、労働者の団結権延いては労働者個々人の保護を目的とするものであるのと、一方労働者には退職の自由が認められている点よりすれば、使用者の動機が、労働者の意思表示に対し圧倒的な影響をもたない右の如き場合をも、不当労働行為としてその効力を否定するのは行き過ぎであるといわなければならないからである。

いまこれを本件についてみるに、申請人等に対する解雇が、不当労働行為であることは、前認定のとおりであるから、右和解の際にも、会社が不当労働行為の意図をもつていたものと認めざるをえないにしても、申請人等を代理して和解の衝にあたつた村上輝雄は、前記地労協の事務局員であるとともに自己所属の労働組合、及び全繊同盟大阪支部の各役員を兼ね、労働運動の経験者として指導者的立場にあつたものであり、かつ同人は、当初会社に対し、申請人等の原職復帰を強く要求したが、会社が申請人等の勤務成績不良、設備変更に伴う剰員整理を理由にこれを拒否し、交渉が行きつまつたため、申請人等の意向を聞いた上、自ら条件闘争に切換え、退職金の要求を持出したものであることは、前認定のとおりであつて、会社の不当労働行為の意図は、何等表示されていないし、かりに村上がこれを察知したとしても、右意図の実現が和解の目的になつていないのは勿論、村上が会社の右意図に盲従し、その実現を目的として和解を成立せしめたわけでないことも明らかであり、むしろ、前認定の事実によれば、申請人等が、原職復帰をあきらめ退職金受領の態度に出たのは、会社の強硬な復職拒否もさることながら、申請人が原職復帰強行後の稼働につき不安を感じ、争を大きくするよりも、なるべく多額の退職金を得て身をひいた方が得策であると考えたことによるものといえるのであつて、(もつとも申請人等がかような判断をするについては、村上の助言が影響していると思われるが、さりとて、右の判断が申請人等の自由な意思決定であることを否定するに足りる的確な疎明資料はない。)一般に労働者の退職自由原則が認められる以上、右の如く、申請人等が会社の不当労働行為の意図と離れて、別個の動機から自発的に和解をなし、雇傭関係の終了を確定せしめたからといつて、これを以て不当労働行為となし、その効力を否定するに由なきことは、前説示のとおりであるから、この点に関する申請人等の主張は採用できない。

(二)  さらに、申請人等は申請人等が右の如き和解に応じたのは、村上輝雄が会社と通謀し不当労働行為の意図を以て申請人等に対し和解を勧告し、原職復帰は駄目だから金で解決しなければならないと申し向けたためであるから、右和解は無効である旨主張する。

そして、前記証人村上輝雄、同山口俊一の各証言、及び申請人中村トメノ本人の供述によると、村上輝雄は、昭和三十二年十一月二十三日における前記親睦会発足のときと、親睦会が昭和三十三年一月十四日改組せられて山口織布従業員組合となり、全繊同盟に加盟したとき、いずれもその結成式に臨席していたことが窺われ、申請人等の村上に対する疑惑の念もここに胚胎しているようであるが、右親睦会、(申請人等も当初はこれに加入し、とくに申請人中村、同中谷は役員に選ばれていたことは右疎明資料から認められる)、従業員組合がいずれも会社のいわゆる御用組合であることを知りながら、村上が会社のためその発足に寄与したものと認められる疎明はなく、村上が全繊同盟大阪支部の組織部員であつて、臨席したのも村上一人でなかつた(右の点も前記疎明資料により明らかである。)点よりすれば、あるいは、上部団体たる全繊同盟の下部組織に対する儀礼的な行事に過ぎず、他意がなかつたのでないかとも考えられるのであつて、右の点と、前記和解に村上が関与したのは、申請人等の訴えに基き地労協から派遣されたためであり、しかも申請人等のため会社との交渉に約八時間の長時間を費し、それも主として会社側の説得に時間がかけられているといつた、前認定の経過よりすれば、右のような事実があるからといつて、村上が会社と共謀の上、不当労働行為の意図を以て申請人等に対し、和解を勧めたものとはとうてい断じ難く、他にこれを疎明するに足りる的確な資料がないから、申請人等の右主張も亦採用し難い。

五、結論

以上の次第であつて、申請人等と会社との間の雇用関係は、昭和三十二年十二月十二日の和解によりすでにその終了が確定しているのであるから、申請人等の本件仮処分申請は、その余の点について判断するまでもなく、その理由がないのでこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 金田宇佐夫 戸田勝 塩田駿一)

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